31歳そのへんにいる中学校教員であった夫が、悲劇を乗り越えて○カ月で収益化を達成し、脱サラ・フリーランスになって毎月家族旅行に行けるようになった話

こんにちは!しょーと申します。

 

これから、なんの肩書もない

どこにでもいる

普通の中学校教員が、

 

ネットビジネスに出会って、

人生が180度変わったお話を

 

包み隠すことなく

お伝えしたいと思います。

正直、お恥ずかしい点も多々ありますが、

 

 

実は私には、ある一つの使命感があり、

その達成のためには

あなたに私自身を知ってもらう必要があるので、

自分のことをお伝えしたいと考えています。

 

ありのままの私、

100%のしょーさんを

お伝えしたいと思います。

 

使命とは何か?それは最後に

お話ししたいと思います。

ぜひ謎解き感覚でもいいので

読んでいただきたいと思います。

 

ひとまずここで言えることは、

このページに訪問してきてくださったあなたは、

きっと何かの「キーワード」をもって

来ていることだと思います。

 

  • ネットビジネスに興味がある
  • 仕事と家庭のバランスで悩んでいる
  • 仕事にやりがいを感じない
  • 生きがいを感じない
  • 人生の転換期と感じている
  • 家族で幸せに過ごしたいと思っている  等々…

 

いろいろな、言葉にならないような

複雑な思いがあると思います。

 

人生における転換期は

あなたにも必ず訪れますが、私にとっては

結婚、子育て、病気、仕事…

これらのことが私の人生の価値観を変えました。

 

もしあなたがそれらの事について悩み、

あるいは価値観が変わる経験を

しているのだとしたら、この記事は

参考になるのではないかと思います。

 

結婚、子育て、病気、仕事…

ここに共通してくることとして、

「稼ぎ」がどの場面でも拭えない問題として

存在するというところです。

 

しかし、

その問題を解決する手立てがわからない。

どうやったら「稼ぎ」を増やせるのかわからない。

 

一つのテーマとしてはそこが挙げられると

思います。

 

稼ぎに着目するだなんて、

意地汚い…浅ましい…

そう思う気持ちもわかります。

私もそうでした。

 

しかし、現実問題として

「稼ぎ」は私たちが行動する上での

一つの原動力となり、また足かせとなります。

 

足かせになっている場合、

それが原因で、多くの思いは

制限されていますよね。

 

体は自由に動きたいのに

自由に動けない感覚。

心も囚われずに踊らせたいのに

我慢しなければならない日々。

 

そんな日常はいやだ!

私もそう思いました。

 

しかし、そうする術がわかりませんでした。

 

今回は、

「私自身がその問題を

どう乗り越えていったのか」を

ストーリー形式でお伝えいたします。

 

あなたが変わろうと思って行動すれば、

絶対に変われる。

 

いつからでも稼ごうと思ったら稼げるんだ!

ということが、この記事を読んでいただいた後で

理解することができるように

 

また、あなたの悩みが、

この記事を読んでいただいた後で

少しでも小さくなりますように、

 

力を振り絞ってお伝えしたいと思います。

 

それでは、赤っ恥覚悟の

しょーさんのストーリーを

お楽しみください。

 

どこにでもいる普通の教員だった

 

改めまして、しょーです。

 

普通過ぎる名前かもしれませんが、

とにかくしょーです。

 

一応言っておくと、あだ名ですね。

本名は、なおひろと申します。

 

「なお」が、お尚さんの「ショウ」

という感じなので、

一部界隈の人からは「しょー」と呼ばれ

それがあだ名となりました。

 

なので、それを使っております。

一休さんの頓知が冴えてます』 アニメ 一休さん~母上さまシリーズ~第 ...
お尚さんの、のしょーです。

 

昭和62年、今となっては2つ前の元号、

1987年生まれです。

そんなちょっと古風な私ですが、

 

現在はネットビジネスで独立し、

時間と場所に縛られない、

 

いわゆる「ノマド」ともいえるスタイルで

稼ぎを得ています。

 

このブログを書いている今でも

実は潮の匂いがする海風が当たる

ホテルのバルコニーにおります。

ノマド生活とお金の関係|誰も教えてくれないお財布事情 | THE LANCER ...

たまたま今日がその場所にいるだけ、

というのもありますが、

先日は娘と一緒に「ロードトリップ」を

していました。

 

ロードトリップとは

いわゆる、車中泊生活で、

旅をすることです。

Boulder's 3 vanlife companies help spur untethered adventures • BLDRfly

 

少し振り返ってみると、

元々は普通の中学校の教員でした。 

 

教員になることは、小学生からの夢でした。

細かく話すと、当時6年生の時の

担任の先生がとても綺麗で優しく、

若干の恋心を抱いていたところです。

 

その先生にはとても助けられて、

私が鉄棒から落下した時は

誰よりも心配してくれて

 

何かをミスして爪を剥がした時は

とにかく心強く、私が痛がっているのを

忘れてしまうぐらい気丈に振る舞って

くれました。

 

「その先生みたいになりたい」

その思いが大学への進路決定時まで続き

教員の道を目指すことに一遍のくもりもなく

進みました。

 

順調にいったかというと

そうではないです。

勉強とスポーツの両立が高校以降

難しくなり、キャパオーバー。

 

教員採用試験も、実は3回落ちています。

しかし、なんとか教員になりました。

 

そして23歳の春から、つい最近まで、

ごく普通の中学校教員として

教鞭をとっておりました。

 

途中で2年間、海外にいました。

詳しくはこちらにも

書いております。

 

 

教員の世界にあこがれた理由は、

やりがいでした。

 

子どもの成長を助けることができる!

自分の専門分野を教えることができる!

「教育」を通して、社会貢献できる!

 

思い返せば、

自分自身が愛情不足だったのかも

しれません。

 

小学校の担任の先生に

とてもよくしてもらって、

自分も与えられる人になりたい。

 

不自由な家庭に育ったわけではないですが、

比較的厳しい父親と母親で、

愛情というよりも過保護という不自由さで

縛られていたのかもしれません。

 

親には感謝しております、

その過保護さは他との比較のしようがなく

私自身そう思っていただけなのかもしれません。

 

ただ、

もっと友達と遊びたい。

好きなことをやらせて欲しい。

 

そんな思いを常に抱いていた幼少期から

教員になったので、子供たちが

生きがいを持って生活できるように

サポートしていきたいと切に願っていました。

 

教員は、人を育てる

やりがいのある仕事だと思っておりました。

しかし現実は違っておりました。

 

事務作業ばかりで子どもとかかわる機会は少ない

自分が得意としていたことを教える機会は皆無

年功序列、古い世代の人たちが牛耳っている

 

若い世代の人たちは肩身が狭く、

先輩の先生方のおべっかを使いながら

毎日馬車馬のように仕事をさせられました。

「職員室、机の上は、紙だらけ」(教員ならわかるはずです)

 

朝6時に家を出て、夜は11時過ぎに帰宅、

土日も部活で朝から晩まで

週休0日。友達と遊ぶ暇もない

 

疲れ果てて家に帰ってくると、

何もする気が起きずにスマホだけを眺める。

 

SNSで、明るい投稿をしている

友達たちの様子を見ては

「いいね」ボタンも押せず。

 

「うらやましいね」「にくいね」ボタンがあれば

連打したかった。そんな日々でした。

 

友達たちが本当に楽しそうに見えました。 

 

…思い返せば、疲労感にあふれ、

やりがい、生きがいもなく、

つまらない日々でした。

 

SNS依存症だったと思われる20代前半

 

本当に、時間の無駄遣いというか、

無駄な時間だったと思います。

 

そんな経験をしたので、

現状をとにかく変えたい思いもあり

 

また先に伝えた先生が海外に行った

話にも憧れ、2年間の海外武者修行を

決行しました。

 

そこでは多くのものを

学びました。

 

実は私がアメリカで勤めた会社は、

企業コンサルティング会社でした。

私は、そこの営業マンとして

日々ストリーティングとハウジング。

 

英語がわからなくても

とにかくいろいろな人に話しかける。

そこでアポを取れた人と商談。

 

そんな日々をしてました。

会社のボスは、スコットと言いますが、

過去にはGoogleのリーダシップ教育を

していたこともある大物。

 

そこで働く営業チームとして、

またゾーンリーダーという役職を

任されて、日々語学に、マネジメントに

悩みながら2年間過ごしました。

 

大変学びが多く、

特に、「自己責任」「結果がすべて」という

アメリカ的な考え方は、とても参考になりました。

 

アメリカ人と取っ組み合いの喧嘩をして

その後に仲直りをしてハグしあった日々が

懐かしいです。

 

かなり自由度を高くやらせてもらい嬉しかった反面

「結果が全て」というところでは

思ったような結果が出せずに悩んだ日々が

懐かしいです。

 

そんなこんなで、

アメリカから帰国した私は、

すぐに教員に戻ります。

それ以外に選択肢がないと思ったからですね。

 

ここに関しては、

「アメリカの経験がきっと

教員の世界を広げる!」

そう思って戻りましたが、

 

現状は…そうです。

以前と変わらなかったのです。

国際学級の担任もしたことがありましたが、

忙しさから、楽しさを忘れるほど。

 

教員の世界は、変えられないのか…

そう感じながら、また落ち込む気持ちを胸に

SNSを眺める日々。

 

というところで、転機が訪れます。

大学時代からお付き合いしていた方から

猛烈なアプローチを受けます。

 

そして、なんと帰国後5ヶ月で結婚し、

とてつもなく可愛い娘も生まれました。

 

「友達と遊べなくても、

仕事にやりがいがなくても、

家族と一緒にいれれば、それでいい。

家族が一番尊いものだ」

 

アメリカ時代には、

「家族が社会の礎」

そう学びました。

 

ボスのスコットにも

「日本に帰ったら、素敵な女性が現れたら

すぐ結婚しなさい」と言われてました。

 

それに疑いの目は一つもなく、

あっというまに旦那、夫になりました。


「結婚とは、永遠の謎である」と誰かが言っていましたが、謎だろうが、最高に幸せでした。

 

本当に幸せな日々が、

始まった。そう確信してました。

 

しかし…

 

子どもが生まれると、

それを見計らったかのように、

ますます忙しくなりました。

 

部活も土日はすべてなくなるような

「女子バレー部」の顧問に配置されます。

 

実のところ、体育会系思考は嫌いでしたが、

真面目で堅実思考だったので

 

めげずに、やったこともない競技の

指導研究や他校との交流試合にせっせと通い、

 

「結果を残せば、もっと

やりがいが出てくるんじゃないか!」

 

「家族にも面子が立つんじゃないか!?

 

そう思って頑張りました。

 

その頃妻には、「私は寡婦です」

冗談交じりに言われました。

(実はあとで「寡婦」の意味を辞書で引きました…)

 

しかし、それぐらい忙しく、

休日も家にもいないような状況でした。 

 

休日の練習試合は、朝8時から、夕方18時ぐらいまでが普通でした。休日ってなに?という感じです。

 

「頑張っていれば道が開ける!」

 

 …かといって公務員。

稼ぎが増えるわけでもないのに、

我武者羅に、意味不明に頑張っていました。

 

そう信じてやっていた時に、

さらに転機が訪れます。

 

妻の病気と決意

 

ちょっと暗い話になります。

もちろんですが、ここまでの話も

これからの話もノンフィクション(事実)です。

 

子どもの面倒を

ほとんど妻に見てもらっているところで、

妻の体に異変が見られるようになりました。

 

結婚してから子供が生まれて

しばらくたったあとなので、

おそらく家族として生活が始まって

1年ちょっとの時でした。

 

おなかに強烈な痛みがあり、

色々な病院に行って検査を重ねました。

 

 

しかしどの病院に行っても

「わかりません」とのことで、

よくわからない治療も受けました。

 

よくわからない治療は「ホルモン療法」

という痛みと関係あるの?という謎のもの。

 

強制的に更年期障害と同じ状態にするもので、

それが原因で妻はうつ病になりました。

 

おそらく、皆さんも自分の親御さんが

その年になると苦しんでいる姿を

みたことがあるのではないかと思います。

 

更年期障害、さらにうつ病。

みている側もきついものでした。

 

治療は試したものの一向に痛みは取れない。

そればかりか、

腹部にしこりまで出てきて、

治療を中断し、痛み止めで経過観察…

 

対症療法しかできませんでした。

大量の痛み止めを飲んでました。

 

不安は募りつつ、

時間だけが過ぎていく。

 

いよいよ痛みも増してきて、

まともな生活ができなくなり、

しびれをきらした私が医者に直談判。

Pain Patients Push Back On Unfair Opioid Restrictions | The Fix
本当に病院に乗り込みました。余りにもお医者さんと私の認識に解離があったのをよく覚えております。

 

その結果、医者も動いてくれて、

手術をしてみることになりました。

 

痛みの原因が何なのか、しこりがなんなのか

実際に見てみましょう、とのことで。


手術室から出てきたばかりの妻に駆け寄ったら、「待合室でお待ちください」と看護師に引き離されたのを今でも忘れられません。

 

…絶対に忘れません。

手術をしたのが2016年の年末、

クリスマス前。

 

退院したのち、

術後だったので、年末年始は大人しくしてました。

 

しかし、2017年の年明け早々、1月5日。

病院から突然連絡が入ります。

Have you been targeted by the 'Wangiri' phone scam? – Which ...

 

「至急、お伝えしたいことがあります。

旦那様と一緒に病院に来てもらえますか?」

 

嫌な予感はしていました。

しかし悪いことは考えないようにしていました。

それが現実にならないように。

 

How To Make Friends With Your Shadow Side - The Stillness Project

 

…現実って、とても皮肉だな、と思いました。

あまり言いたくありませんが、

隠しても何も意味はないのでお伝えします。

 

結果として、それは悪性腫瘍でした。

 

しかもまれにみるもので、レア中のレア

専門の病院に行っても、

年間に同じ症例が1件あるかないか。

 

全国的にも同時期に同じ病気である人は

その時点ではいない、

 

100万人に1、もしくは1000万人に1人

 

ともいわれるものでした。

 

非典型なので標準治療もなく、

手探りのものになる、まったく先の見通しが

つかないものになると。

 

…奈落の底に突き落とされる感覚って、

こういう感じなんですね。

 

 

告知の時は、足元がガラガラ崩れ去るような感覚、地に足がつかない感覚、生きた心地がしない瞬間でした。

 

それから…何度も妻とは話し合いを

重ねました。一緒に涙した日々もありましたし、

ぶつかる日もありました。

 

協力したいのに喧嘩する。

泣きじゃくるく妻と娘。

 

いっそのこと全て投げ出したい

そう思った時もありました。

 

本当に悩みました。

 

身辺整理までしだした妻を横目に

仕事に行くのは、

本当につらいだけでした。

 

映画「P.S. I love you 」の逆でした。私だったらよかったのに。と当時は思っていました。

 

幸いなことは、病気の進行が遅いようで、

時間は稼ぐことができるみたいですが、

時間稼ぎって…

 

 

初めは子どものことも任せられましたが、

病気の進行と、薬の副作用により、

子どもの世話も難しくなってきました。

 

 

自分はこのままでいいのか…

このまま弱っていく妻を

十分に支えられずに、

ただ見ていることしかできないのか…

 

…もう決断するしかありませんでした。

 

妻が病気になったって、

社会は何も変わるわけではない。

 

自分の忙しさが変わるわけでもない。

それでも妻をサポートしたい!

 

決断自体は、すぐにできました。

もう教員をしながら

妻をサポートするのは不可能だ!…と。

 

 

 

翌日校長のもとに行き、

退職の意向を伝えました。

 

…現状を変えるには、決断して、

行動するしかないんだ!

 

それだけを信じて、

先のことを深く考えずに決断しました。

 

失敗に失敗を重ねた8ヶ月

 

決意してすぐに、選択肢としては、

「家でできる仕事」そこだけに集中して、

情報収集を始めました。

 

そして色々な情報を調べていく中で、

調べているだけでは

結果が出ないことを知り、

 

とにかくやってみないことには結果

=お金、に変わらないと思い、

実際に行動し始めました。

とにかくやってみないとわからない。いろいろ試しました。

 

ブログ、物販、暗号通貨、株式投資、

プログラミング、動画編集、FX、MLM…

あらゆるものを試しました。

 

…しかし、どれもうまくいきませんでした。

 

ブログは、PV数が伸びず、

30万の商材を買うも、半年後に稼げた金額は

2,000円。

 

暗号通貨はボラティリティがとんでもなく、

配当事業では15万円持ち逃げされる。

最近(2020年5月)に詐欺が確定しました。

 

株式は短期だと厳しい… 

 

FXに関しては、ハイレバで10万儲けた!

と思ったら、一瞬で60万失う。

 

 

物販では16万の商材を買ったら

蓋を開けてみたら「○○転売ビジネス」

グレーゾーンすぎて言えません。。

 

 

さらに物販の詐欺にもあい50万の損失

この歳で振り込め詐欺に会う始末。

この話はドローン詐欺と呼んでますが、

 

ドローンを、カードローンで買ったら、

お金を持ち逃げされて、ドローンされる。

 

笑えないギャグみたいな状態になりました。

 

…増やすどころか、減らす一方

約170万円ほど浪費してしまいました。

 

それ以外にも妻も個人の資金を運用しようと思ったら

230万円を失うという状況でした。

 

合計で約400万円損失

今となっては笑い話ですが、

冷静になって考えてみたら

物凄い損失ですね。

 

妻のために、家族のために!!

…お金を減らすの?

お金を得るどころか、失うばかり。

 

奈落の底は、どこまでも深く。

人間落ちるときはどんどん落ちるんだなと。

貯金もほとんど失い、絶望を味わいました。

 

じゃあ、あきらめて、

またあの忙しい職場にいるの?

 

妻のサポートもできずに、

弱っていく姿をただ見ていくだけなの?

 

…泣きました。

 

自分の不甲斐なさ、だらしなさ。

力不足にとにかく落胆しました。

 

…しかし、一番つらいのは、妻です。

 

愛する妻を、少しでも笑顔にさせてあげたい!

とにかく幸せに、

ゆったりとした時間を過ごしてほしい!

とにかくやるしかありませんでした。

 

歯を食いしばって気持ちを入れなおし、

また頑張ろうと決意しました。

 

突然の出会いと人生の転機

 

情報収集は、正しいものを

どうやったら見極められるか

というところが、とても大切だと

思っておりました。

 

しかし、いろいろな人を当たっても、

「ノウハウだから教えられません」とか、

 

「資金が必要です」とか、

そういったものばかりでした。

 

一番悔しかったのは、

「あなたにはできないですよ。」

という言葉でした。

 

その時の私は、

もう落ち込むことを忘れていました。

 

なによりも、行動しないと変わらないんだ。

自分にそう言い聞かせていました。

 

そのように、

必死になって情報を集めていたそんな時に、

ある方とTwitterで出会います。

 

その方は、Iさんという方でした。

 

私と同郷の出身で、

なおかつ同じスポーツ競技(水泳)をしており、

共通の友人もいたことで意気投合しました。

 

しかも、ネットビジネスで

収入を得ているとのことで、

 

この人とお話しをたい!

どんな内容なのか知りたい!

 

すぐにお会いして、

お話を聞いてみることにしました。

Twitterで仲良くなった方と実際にお会いしたのは、これが初めてでした。教員時代も、面談とかよくやっていたので、初対面の方と会うのは、それほど抵抗がありませんでした。

 

お話を聞いてみると、

Iさんは仕事をしながらネットビジネスで

稼ぎを得ていて、

 

趣味や私生活が充実しているという。

実際にとてもハツラツとしていました。

 

また、これが意外でしたが、

Iさん自身は、実は師匠を付けて学んでいる

とのことで、まだまだIさん自身は

発展途上だとこのこと。

 

Iさんも稼いでいるのに…?なぜ師匠?

そんなの聞いたことがない。

 

…しかし、とにかく

その上を行くという方が、Hさんでした。

 

Iさんとお話してから、その週内のうちに、

Hさんともお会いできるように

段取りをつけてくださり、

 

そしてトントン拍子でHさんにお会いして、

お話を聞いてみました。

 

その時の感想ですが、

…一瞬で価値観が変わりました。

 

これまでいろいろな人から話を聞いてきて、

確かに「稼いでいる風」の人はたくさんいましたが、

 

このHさんは、本当に堅実に

稼いでらっしゃいました。

Hさんの第一印象は↑こんな感じ。ノマド、ネットビジネス。かっこよすぎました。

 

しかも26歳。私より年下。

ビジネスの知識も豊富すぎて、

圧倒されましたし、人の厚みに関しては、

スコットを彷彿させるものでした。

 

今まで自分は何をしてきたのか…

と落ち込む気持ちもありました。

 

しかし、悩んでいる暇はない、

今この人のところから離れたら、

絶対に同じような人に出会うことはない! 

 

もう直感的でした。

 

気づいたときには、

「自分も教えてほしいです。

教えてください」

と頭を下げていました。

 

一片の不安はあったものの、

これで行動できなかったら、

もう自分は何もできない。

 

何もしなかったら、

妻を幸せにできない。

覚悟を決めて行動し始めました。

すべては家族のために…!この出会いに確信を得て、飛び込みました。

 

それから、もう次の日から、

ミーティングや課題、

やることリスト、

様々な作業を提示されて、

 

とにかく言われるがままに

作業を続けていきました。

 

難しい、あるいはわからない、

という情けない理由で、

足踏みしたこともありました。

 

しかし、やっていることは

正しい道を歩んでいる!

そう確信を得れるものだったので、

Hさんの指示通りに進めていきました。

 

家族のため!妻のため!

もしこれで稼ぎを得られなかったら…

 

そういう思いで必死でやっておりました。

また、教員の退職のタイミングも重なり、

不安で仕方ありませんでした。 

不安はありました。しかしやるしかありませんでした。

 

小さな成功と成功の連続

 

Hさんの元で学びはじめてから約4か月…

突然のことでした。

2000円?が成約…?

なんのことやら。。

 

メールでのいきなり通知…

何のことだかわかりませんでした。

 

慎重に確認してみると、

…収益が上がっている!?

 

何度も見返しましたが、

確かに収益が上がってる!

 

…不思議な感覚でした。

この時点でやったことは集客の実践と

ライティングの実践。

それだけでも収益が出るのか…?

パソコンとスマホだけで…!?資本もなにもないところに、お金が生み出された!

 

今までいろいろなものに

チャレンジしてきましたが、

 

リスクもかからず、

全てパソコンとスマホだけの作業

いきなりそんな収入になることが

シンプルに信じられませんでした。

 

はっきり言って、

大きな金額ではありませんでした。

 

しかし、今までお金を失ってばかりだった

私にとっては、

とても大きなことでした。

しかもリスクゼロで…

初収益にかかった費用は、0円でした…!!

 

嬉しくてすぐにHさんに

メッセージしたのを覚えております。

 

喜びはつかの間でしたが、

同じこと繰り返して、

さらにスキルアップしていけば、

 

「直線的ではなく、曲線的に

収入も上がりますよ!と言われ

作業を継続しました。

 

その後は、水を得た魚のように、

ビジネスのコツをつかみ、

日ごとに収益が増えていきました。

水泳って、コツをつかむと、いくらでも泳いでいられるんです。(言い忘れましたが、元全日本スイマーでした。どうでもいい過去の話です…)

 

正直言って、Hさんに言われた通り、

もちろん悩むことがあったり、

理解できない部分もあったりしましたが、  

 

基本的には教えてもらった通りに

やっただけでした。

 

そして、収益は着実に伸びてき、

稼げる桁も変わってきて!

今では、毎月家族旅行に行けるまでに!!

2019年はディズニーリゾート4泊5日の旅行に行ってきました!
最高に楽しかったです!

 

また、これまで、

子どもに好きなおもちゃを買ってあげる

ことなんてありませんでした。

 

どうせすぐ使わなくなるものに

お金使う必要あるの?

そう言って説得というか

押さえ込んだというのが正しいです。

 

お金がないから。

 

思い返せば最低の父親でしたね。

 

しかし、今では気持ちに余裕もでき、

ちゃんと子どもと約束をして

おもちゃを買ってあげたり、

 

妻にプレゼントを買ってあげたり。

 

 

収入が増えると

気持ちに余裕もできるということが

わかりました。

 

それからというもの、

すべてが順調に進んでいきました。

 

ビジネスの収入が増えるだけでなく、

家庭生活も余裕ができてきて楽しくなり、

 

そして…

 

妻の健康状態も安定してきました。

笑顔が!

チャームポイントのえくぼが!

目に輝きが!

 

私が心から望んでいたことが、叶いました。

「あの時に決意していて本当に…よかった…」

心の底からそう思います。

 

夢は広がる。行動あるのみ。

その後、

結果もほどほどに出てくるようになった時に

Hさんから提案を受けました。

 

「一緒に教えることをやってみないか」

 

私としては、

嬉しい限りでした。

Hさんのようになりたかったので、

Hさんの背中を追いかけたい。

 

そういう思いでやっていきました。

すると教える機会も少しずつ増えてきて、

 

今では、自分も弟子を付けて

教えることができるようになってきました。

 

いまでは、Hさんのように

セミナーを開かせてもらったりしてます。

 

また、お金をためて、

新しい事業を起こしたいなと思っております。

 

夢が広がる感じって、

本当にワクワクするんですよね。

道が開ける、日が昇る、先が見える、輝いている。抽象的な言葉でしか表現できない感覚です。

 

教員時代は、

いくら努力しても報われない世界でした。

 

しかし、今では、努力すればするほど、

どんどん収益に反映され、

また、様々な人とつながれて、

ビジネスが広がっていく。

 

こんな夢にまで見た生活が

本当にできるようになったこと、

本当に、あの時決断していて

よかったと思っています。

 

実のところ、私は妻には相談せずに、

Hさんのところで学ぶ決意をしました。

 

きっと事前に相談したら反対されて、

妻の反対に負けてしまうと思ったからです。

(妻が描いた漫画はこちらから)

 

しかし、その後、妻に打ち明けると、

私が家にいてくれること、

稼ぎも得ていて、家族を養って

くれていることに感謝してくれています。

 

「家族のために頑張ってくれてありがとう」

その言葉は忘れません。

 

あの時行動していて、本当に良かった…

行動することの大切さを、

身をもって実感することができました。

 

今では、

  1. カメラ事業
  2. 教育事業(発達障害支援事業)
  3. アスリートキャリア支援事業
  4. 海外留学事業

 

そんなことを考えながら

日々ビジネス実践をしております。

 

時間も場所も縛られずに、

稼ぎも得られて家族や大切な友達との時間も

ある。

 

とても満たされた日々です。

 

次は皆さんの番です!

と言いたいところですが、

 

その中で悲しいこともありました。

 

妻は「天使」だった

ビジネスを始めて

1年が経ったあとでした。

私が独立して、約半年後のことでした。

 

もう察している方もいるかと思いますが、

実は、

妻は2019年の5月に先立ちました。

 

33年の人生でした。

その間、妻は私と出会って約10年の間、

私に良い模範をたくさん示してくれました。

 

妻の最期に立ち会えた瞬間は、

いまでも鮮明に覚えております。

 

娘が言った一言は、ここでは書けません。

 

妻が与えてくれたものは

私が自由に生きる術だけでなく

生きる上で何が大切なのかを

教えてくれました。

 

愛する人との別れは筆舌に尽くし難く、

今でも寂しさを覚える時があります。

 

ただ、冷静になって思うことは

妻がいなかったら、

 

自分は結婚もできなかったし

子供もいなかったし、

ビジネスに出会うこともなかった。

 

本当にそう思います。

 

心から妻に感謝しております。

また、妻によって出会えたHさんにも

感謝しております。

 

今になって思うことは、

妻を失ったのではなく、

家族を得ましたし、師もそうですし、

与えられたものが多くありました。

 

妻は天使だったんだと確信しております。

 

次は皆さんの番です

 

落ち着いて生活できるようになってから、

自分のこれまでの人生を振り返ってみました。

 

まずは、仕事のことを考えてみました。

私は、夢をもって、教員になりました。

 

しかし、その教員は、実際のところ、

思い描いたものとは違いましたし、

自分には力不足でした。

 

それから、家族のことも考えました。

 

気持ちと時間に余裕ができて、

子どもとかかわる機会も増え、

 

日々成長する子供を助けることの

楽しさを実感しております。

 

現在はシングルパパですが

主夫として娘の将来のために

奔走できる喜びを感じております。

 

また、学ぶことの楽しさは、

Hさんのことばから日々感じており、

 

人生は、「Try and Error」

「Challenge」することで、

さらに楽しいもになることを実感しました。

 

…しかし、気質というのは、

変わらないんですかね。

 

やっぱり自分が知っていることを

皆さんに教えていきたい

という思いが強くあります。

 

Hさんのもとでビジネスを学び始めてから、

多くの志を共にする仲間が増えて、

日々刺激を受けながら生活できています。

 

教師というのは、学ぶ存在であって、

その学んだことをアウトプット

していく人のことだと思っております。

 

それを双方向でやっていくことが、

こんなにも楽しいとは思ってもいませんでした。

 

教員時代には感じられなかった

「教えること」の楽しさ…

この場所以外にほかにはない!そう思いました。

 

ビジネス仲間が増えて、

一緒に事業を考えたり、

新しいビジネス立ち上げたりしたら…

 

なので、みなさんとつながって、

一緒に何かを成し遂げていきたい

と思っております。

 

そんな思いでこのブログも立ち上げました。

 

そう、そして、次は皆さんの番です。

このネットビジネスの世界に踏み込んで、

たくさんのことを学びましたし、

今でも学んでおります。

 

そして、

変われる人と、変われない人の違い

が何なのかを、私なりに理解してきています。

 

それは、

 

行動できるか、できないか

やるか、やらないか。

 

それだけです。

 

不安は誰にでもあります。

また、お金がないとか、時間がないとか。

 

いくらでもやらない理由は

沸いてくると思います。

 

しかし、行動しなかったら、何も変わりません。

 

一緒に行動していきましょう。皆さんの人生も、

 

「そうなりたいと思ったら、そうなる!」

だれかの言葉に似ているような…

とにかく、人生楽しんでいきましょう!!

 

少し長い自己紹介になりましたが、

私は、こんな人間です。

 

これからも成長あるのみ!

 

最後まで読んでいただいて

ありがとうございました

 

「人間万事塞翁が馬」

一喜一憂せずに

進んでいきましょう!

 

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